100歳超えの医者の日野原重明さんの名言や考え方から生き方を学ぶ。

日野原重明(医師)の名言・格言【有名人から学ぶ生き方のヒント】

日野原重明(医師)の名言・格言【有名人から学ぶ生き方のヒント】

 

【人物紹介】
日野原重明(1911年(明治44年)~2017年)。
医師、医学者。位階は従三位。学位は医学博士(京都帝国大学)。
聖路加国際病院名誉院長、上智大学日本グリーフケア研究所名誉所長、
公益財団法人笹川記念保健協力財団名誉会長。
京都帝国大学医学部副手、大日本帝国海軍軍医少尉などを経て、
聖路加看護大学学長、聖路加国際病院院長、国際基督教大学教授、
一般財団法人聖路加国際メディカルセンター理事長、一般財団法人ライフ・
プランニング・センター理事長、公益財団法人聖ルカ・ライフサイエンス
研究所理事長などを歴任した。 専門は内科学で、成人病と呼ばれてきた
血栓によってひき起こされる心臓病、脳卒中の予防につなげるため1970年代から
「習慣病」と呼び、旧厚生省はこの考えを受け入れ1996年に「生活習慣病」と
改称し、その後広く受け入れられた。 1995年3月に発生したオウム真理教による
「地下鉄サリン事件」では、聖路加国際病院を開放する決断を院長として下し、
外来患者の診察など通常業務をすべて停止し、83歳の日野原は陣頭指揮を執り、
被害者640名の治療に当たった。これができたのは、この3年前に日野原が北欧の
病院の視察からヒントを得て日野原の発案で大災害を見越して廊下、
待合室の壁面に酸素配管約2,000本を設置していたことや、広いロビーや
礼拝堂を設けていたからである。朝のラッシュ時に起きたテロ事件でありながら、
犠牲者を最小限に抑えることに繋がった。この時の一部始終はNHKの
ドキュメンタリー番組『プロジェクトX〜挑戦者たち〜』などでも取り上げられている。

「いのちはどこにありますか?」全国の小学校を訪れ10歳の子供たちに
そんな質問を投げかけています。いのちの大切さを考えてもらうきっかけ
として「いのちの授業」を行っているのです。多くの子供は自分の心臓を
指差しますが私はこう言います。「心臓は酸素や栄養を含んだ血液を
脳や手足、そして内臓に送り届けるポンプです。生きるために大切な
臓器だけれど、いのちではありません」。ではいのちとは何でしょうか?
いのちとは私たちが自由に使える時間なのです。いのちも時間も目には
見えないけれど、使う事ができる。時間を使う事でいのちが形となります。
この世に生まれてから死ぬまでの時間は全ての人に平等に与えられています。
肝心なのは自分のいのちである自分の時間を有意義に使う事。
授業ではこう続けます。「君たちが大人になった時に、日々どうやって
大切な、いのちの時間を使っているかをもう一度考えてください」
子供のうちは誰しも勉強や遊びに自分の時間を費やします。
でも大人になったら、いのちの時間をぜひ人のために世界で困っている
人のために使ってほしい。多くの人がそうする事でいのちは輝き、
戦争のない平和な世界が実現できるに違いありません。

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家族のあり方としてみた場合、日本のお年寄りはもっと自立するべき
だと思っています。アメリカでは老人の自立心が強く子供には過度の
期待をしません。老人ホームを自分で選び、進んで移り住みます。
遺産を子供に譲るという考えも、子の稼ぎに期待するという考えも
ほとんどなく、割り切った関係です。けれども誕生日やクリスマス、
感謝祭のような節目には家族で集い、絆を確かめ合う。そうすれば
平素はたとえ離れて暮らしていても家族の輪がぷっつりと途切れる事は
ないでしょう。日本では育てた代わりに子供が親の面倒を見るのは
当たり前という考えがどこかにあるのではないでしょうか。親を大切に
しようという日本ならではの美点は大切にしながら家族一人一人が
もっと自立し、上手なハーモニーを保つ関係を築く。それが大切な
家族の輪を保持するためにもきっと役立つはずです。

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私が妻の静子と結婚したのは1943年私が32歳、妻が24歳の時の事です。
それから68年という長い時間を共にし、人生を歩んできた事に幸せを感じます。
私たちの出会いは教会でした。牧師の父が広島女学院の後に赴任した
東京・田園調布の教会で、静子は日曜学校の先生をしていました。
前牧師に紹介され、初めて静子に会った時の印象はその名前のとおり、
物静かで笑顔の美しい人。家庭をしっかり守ってくれる女性だと感じ、
戦争のさなか、ささやかな結婚式をあげました。結婚生活はゼロからの
スタートでした。私の両親や親戚が共に住む大所帯でしたので静子は
牧師の父とそれを支える母の姿を見て多くを学んだようです。
戦後3人の男の子を授かり早朝から夜遅くまで仕事で飛びまわる私に
代わり静子が家の事、息子たちの事を全て引き受けてくれました。
数字に強かったため、私の仕事の経理を担ってくれ、子供たちには塾には
通わせずに自分で勉強を教えていました。
忙しい私に代わって静子は49歳で車の免許を取り、毎日病院まで送って
くれました。私が車中で原稿をテープに録音すると字が上手な静子は
その日のうちに全て書き起こしてくれました。優しい笑顔と行動で他者を
思いやり、人のうわさを一切した事がなく、聞き上手、料理上手の静子を
慕って我が家にはよく人が集まりました。妻として、母として、秘書として、
本当によく支えてくれました。心から感謝しています。
静子が70歳の時、肺がんが発見され右肺を切除したため肺の機能が低下し、
出歩く事が不自由になりました。私が95歳で文化勲章をいただいた際は
無理を承知で車椅子で授賞式に出席してくれました。その頃細かい計算が
しにくくなり、「経理の仕事はもうできない」と自分から言ってきました。
その後、家庭でも車椅子を使い、物忘れが多くなり認知症の衰えと共に
物静かな静子は一層無口となりました。2011年に健康な左肺が酸欠を
起こし、緊急入院しました。今は介護を受けながら入院生活を送っています。
静子は私が声を掛け手を差し出すと優しく握り返してくれます。
そんな妻の前で私はどうしても医師である事ができません。
たくさんの患者さんに接してきましたが妻に対しては医師としてケアを施す
というより、ただそばにいたい。そういう気持ちで彼女の快復を待っています。
私たちはお互いに空気のようになくてはならない存在なのです。
夫婦とはそういうものなんだとつくづく感じています。

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京都帝国大学(現・京都大学)医学部に通っていた私は大学1年の春休みに
大きな挫折を味わいました。結核性胸膜炎と肺結核を診断され1年休学したのです。
当時結核の化学療法がまだなく、自宅で安静にし、温湿布をするしかありませんでした。
負けん気が強く「大学をトップで卒業し大学教授になる」と意気込んでいた私は
絶望のどん底に落とされました。高熱にうなされる日が続き自分の人生は終わりだと
感じたほどです。ですが、この時の苦しい経験が宝物である事に私は医師になってから
気付きました。死に至るほど思い病気をしたため、同じように病を抱える患者さんの
辛い気持ちが痛いほどわかるようになったからです。例えば寝たきりの生活では腰が
ひどく痛むため、よく母が私の背中の下に両腕を差し込み楽にしてくれました。
その経験から私は回診の時、腰痛を抱える患者さんの腰に腕を差し入れてあげます。
すると、とても喜んでもらえます。
自分が病んだ事によって患者さんの痛みや苦しみに共感できるのです。
誰もが病気になると患者さんの痛みや苦しみに共感できるのです。
誰もが病気になると自分は不幸だと思います。でもその体験は後で神様の
恩寵だとわかります。あなたがもし、病気を患ったら嘆き悲しまず、そこから
得るものがある事を思って下さい。

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私は病で苦しむ人々に音楽が何かの力になると考え30年前から音楽による
癒しの効果を研究しています。音楽のメロディーは大脳の側頭葉にある海馬と
呼ばれる中枢神経に働きかけるのです。脳卒中で失語症になった男性の
患者さんに音楽療法士が毎日ピアノを弾いて聴かせるとある時、急にメロディーを
思い出し、それがきっかけとなって言葉も出るようになりました。また認知症の
患者さんに馴染みの音楽を聴かせると患者さんは聞き慣れた音楽を耳にして
自然と歌詞を口ずさむ事ができます。私自身も10歳で腎炎を患って主治医から
運動を1年禁じられ痛みと不安にかられた時、母がピアノを習わせてくれました。
その後20歳で肺結核を病み、絶対安静の時も妹がレコードで音楽を聴かせて
くれました。私の長期の療養中、音楽は病んだ心を癒してくれたのです。
快い音楽によって一時痛みや不安を忘れてしまう事がよくあります。音楽には
病を癒す未知なる力が存在しています。もしあなた自身または愛する家族や
友人が病で苦しむような事があったらぜひ音楽の力を活用してください。

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良き医師を見分ける点は診察の仕方と対話の仕方です。多くの大病院では
忙しいあまり3分診察などといわれています。そして診察より検査に重きが
おかれています。本来は検査データを参考にして心電図などの記録、服用薬、
生活習慣などにじっくり耳を傾けてくれる医師が望ましく、それにはどんな
名医でも3分では不可能で30分はかかります。忙しい時間を患者のために
割き、診察に充てる。そういう医師をぜひ探してください。また良い診察を
受けるためには患者の側の準備も大切です。医師の前では緊張してうまく
話ができない事もあるので服用薬やアレルギーなどはあらかじめ一覧表にして
持っていくといいでしょう。体温・体重・血圧は自宅で測って準備を。体温計・
体重計・血圧計は健康上の「三種の神器」といわれています。医師と患者の
協力体制により充実した診察が可能になります。良き医師を求めるならば
良き患者になる事が必要なのです。

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ストレスは心身に悪いから避けるべきだと考えがちですが、ストレス学説で
有名なカナダの生理学者ハンス・セリエによると身体に良いストレスもある
といいます。ストレスにはDISとEUの2種類あり、新しい体験による高揚感を
もった緊張感にあたるEUストレスは良いストレスです。
一方、DISは前進を拒まれるような時に感じるストレスです。
脳の下垂体から副腎を通って全身に行き渡り体の各部に影響を与えるため
血圧が高くなったり十二指腸に潰瘍が生じたりするなど心身にダメージを
与えるといわれています。DIDストレスを受けた時は軟らかい鉛の棒を
イメージしてください。ぐにゃりと曲がった棒は時間がかかってもいずれ元の
棒に戻ります。ストレスも無理に反発せずに神様の忠告と素直に受け入れ
時間をかけ原因を考えてみる。時には家族や友達の力を借りる事で
ストレスは癒え、やがて鉛の棒のように心の傷も元通りに戻るのです。

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仕事で新たなチャレンジが必要な時、父はこう言いました。
「人の2倍努力し奉仕しなさい。きっと人間的に成長するから」。
これは新約聖書から得た信念だと思います。この言葉は人生の
様々なシーンで私を導いてくれました。京都帝国大学医学部の
大学院から東京の聖路加国際病院への赴任話が持ち上がった
30歳の時、東大閥の地へ赴く事に友人からは反対されましたが
挑戦する事にしました。「人の2倍」という言葉に勇気づけられ
違う世界に足を踏み入れようと思ったのです。赴任後間もなく
太平洋戦争が始まり、若い医師は招集され残ったのは結核の
既往で招集を免れた私と女医さんや50歳以上の男性医師と
看護師さんだけ。夜間は妊婦や子供を地下室へ移動させ、
空襲のたびに大火傷を負った患者さんが担ぎ込まれれば全力で
治療にあたりました。チャペル前のラウンジの床にマットレスを並べて
何百人単位の患者さんを治療するなど、大変な苦難を強いられま
したが「人の2倍」という父の言葉が私を支えたのです。父の教えて
くれた言葉通り、2倍の努力と奉仕によって私は医師として成長す
る事ができたと思っています。

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お金儲けのためだけではなくて職業を通して神に仕え人々のために尽くす。
時には自分の時間や体力を犠牲にしてまで仕事をまっとうする。
そうした姿勢がプロフェッションです。子供の頃、私の生まれ育った
牧師の家が貧しい事を知って、往診料をとらずに母の診察にあたって
くれた主治医で小児科医の安永謙逸先生や夫婦共々に赤道直下
での医療に生涯を捧げたシュバイツァー博士はまさにプロフェッションに
生きた人。医師として私もまたプロフェッションに生きたいという心構えで
毎日全力を尽くして働いています。人のために生きるというプロフェッションの
精神は職種に関わらず全ての仕事において実現可能です。

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昔の日本人は朝と昼の2食でした。それが朝・昼・晩の3食になり
間食や夜食も加わって今の食習慣になりました。でも運動量の
少ない成人男子なら1日2000キロカロリーあれば十分。
年齢を重ねた私ならなおさらです。
私の1日の摂取カロリーは約1300キロカロリーです。
65歳で腹八分目の減食をし始め現在は腹六分目を心掛けた
食生活を続けています。食事の内容は朝はオリーブオイルを
大さじ1杯(15cc)入れた果実ジュースと牛乳に大豆レシチンを
茶さじ3杯入れたものを飲みます。昼は牛乳(180cc)とクッキー2枚。
夜はカロリーが少なくビタミンが豊富な野菜をたっぷりと魚を毎日食べます。
糖分の多いご飯は茶碗半分程度と少なめに。週に3回は細胞を
作るたんぱく源をとるため脂肪分の少ない牛のヒレ肉を食べています。
オリーブオイルなどの植物油や魚の油は動脈硬化の予防になると
いわれていますので私は積極的にとるようにしています。
摂取エネルギーを控えると寿命が長くなる事はアメリカのハーバード
大学でのマウスやアカゲザルを使った実験により科学的にも証明
されています。歳をとったら節食を。健康な体と長寿に効果的なのは
もちろん食費もかからなくなり、いいことづくめです。

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歳をとり運動量が減っても飲食の習慣が若い頃のままではありませんか?
肥満体型になり、内臓に脂肪が溜まって動脈硬化や糖尿病を引き起こす
メタボリック症候群に陥ってしまいます。豊かで文化的な国は肥満が
多く寿命が短くなりがち。現代は機械などの発達で昔ほど重労働が
必要なくなり、たくさん食べなくても仕事ができる環境です。
それなのにむしろ、より多くの食べ物をとっています。
その好例がかつては長寿記録で世界一を誇っていた沖縄県です。
女性の平均寿命はいまだに世界一ですが男性はかなり低下しました。
その原因は質素な食生活が欧米化して動物性脂肪の多い高カロリーの
食べ物を摂取するようになり心筋梗塞や糖尿病を起こす人が
増えたためだといわれています。

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若々しくあるためには意識的に運動をする事が重要です。
私はエレベーターはなるべく使わずに階段を利用します。
動く歩道も遠慮します。体を動かさなくなると筋肉が衰え骨が折れや
すくなり、関節も硬くなります。そのため私は重い荷物を持つ、腕や足の
屈伸をする、手を使わずにすっと立ち上がるなどを心掛けるほか毎朝、
腕立て伏せ10回程度と両下肢の股を広げる運動(スクワット)を続け
99歳からストレッチ体操も始めています。年齢が一番あらわれるのは首です。
後ろから誰かに呼び掛けられた時、あなたは首をまわして振り向く事が
できますか?腰や首から体をひねって振り向く人が多い事でしょう。
歳を重ねるごとに首の関節が硬くなり首だけをまわす事が困難に
なるからです。そのため私はお風呂に入った時に首を左右にまわし、
後ろを振り向く訓練をしています。おかげで関節がゆるみ、私の首は
100歳とは思えない軟らかさです。体を動かせば心が爽快になる。
体が思うように動くと心も軽くなります。体だけではなく精神面にも
良い影響を与える運動は若々しさの維持に欠かせません。

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新しい何かを始め自らの手で人生を創造する。
つまり「創めること」は生き甲斐を持ち元気に毎日を送るために
必要です。絵を描く、書道をたしなむ、フラダンスを踊る、パターゴルフを
する、iPadを使いこなすなど、老いても今までやった事のない事を始め、
探求心をもって新しい事にチャレンジすれば生きる意欲が湧き出て老人は
若くなります。現に私は88歳の時に読んだ絵本「葉っぱのフレディ」に感銘を
受けミュージカルの脚本に起こし90歳の時に上演を実現しました。
98歳になってからは俳句を始め、楽しんでいます。私の結成した
「新老人の会」では70歳で油絵を始め、アメリカのニューヨークで
個展を開いた108歳の女性もいます。

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私たち人間は誰もが「病める生きもの」です。
生まれたての赤ちゃんでも精密な機器で検査をすれば体のどこかに
何らかの異常が見つかります。人間というのは目には見えなくとも
欠陥があるもの。美しく完全に見える球でも拡大してみれば表面に
細かな傷があるように人間もまた100%完璧という事は有得ません。
現に私たちの身体の大切な設計図である2万2000個の遺伝子の
中には癌を引き起こすといわれているものがたくさんあります。
また80歳になると5人に1人は認知症になる遺伝子を抱えて生きて
いるともいわれています。誰もが病の種をもって生きているのです。

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「自分は幸せではない」そう思っているあなたはいつも自分と他人を
比べていませんか?「あの人は幸せ。それに比べて私は不幸せ」と
思ってしまう。幸せとは自分の心が決める事。決して人と比べるもの
ではないのです。またたくさんのモノに囲まれ恵まれた暮らしをしている
のに「まだまだ、幸せにはほど遠い」と感じているのは幸せの敷居が
高いからではないでしょうか。食糧が今ほど豊富にない明治の末に生まれ、
貧しく質素な牧師の家の6人兄弟姉妹の3番目、次男として育ち、
物資が全くなくなり悪夢のような戦争を体験した私は幸せを感じる
ハードルがおのずと低く設定されています。幸せの敷居が低いとちょっと
した事にも喜びが感じられます。人からの何気ない親切や思いやりに
心が満たされます。だから私は日々たくさんの幸せを享受する事ができ
不幸だと感じる事はありません。モノがあふれ一見豊かに見える現代なのに
心の豊かな人はそう多くはありません。心の豊かさを取り戻すためにも
幸せの敷居は低い方がいい。私は常々そう思っています。

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張り詰めた空気の中でも相手を思いやる柔らかな一言でふっと表情が緩み、
場が和む。それがユーモアです。関西から聖路加国際病院に来られた
若いご夫婦がいました。奥さんが末期癌に侵され入院されたのです。
ご主人は大阪にある会社から長期休暇をとり、いつも奥さんの傍らに
付き添っていました。大変仲の良いご夫婦で病室は笑い声で満ちていました。
奥さんが亡くなる2日前の事です。いよいよ痛みがひどくなってきて、ご主人の
表情も次第に暗くこわばり始めた時、奥さんが「私は若いから天国に行ったら、
そこで誰か素敵な人と結婚するわ」と冗談を言ったのです。本気で慌てた
ご主人に「あなた、お馬鹿さんね」と奥さんは朗らかに笑い、ご主人の緊張した
顔もすぐに笑顔に包まれました。死生学の権威である上智大学名誉教授
アルフォンス・デーケン神父は「ユーモアというものは恐怖を払う程の力がある」と
言っています。まさにそれを実証するような出来事でした。奥さんのユーモラスな
一言で死の淵に立つ不安も愛する人を失うご主人の悲しみも打ち払われた事でしょう。
以来私はユーモアという人間のもつ偉大な力の可能性を信じています。

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いのちとはあなたが使える時間です。時間の使い方によって、いのちの質は
随分と変わってきます。つまりどんな時間の使い方をしたかで、その人の
人生が決まるのです。今思えば、いのちが時間である事を知らせてくれた
のは私の母だったように思います。母は私が10歳で急性腎炎を患い自宅で
静養していた時、書道の練習を勧めました。新聞紙を半紙大に切って
私の枕元に置いてくれたのです。またアメリカからきた宣教師夫人のピアニストの
もとへ、ピアノのレッスンを受けにいかせてくれました。おかげで暗く沈んでいた
私の心は癒され、退屈な日々が一変しました。習字はクラスで1等をとるまでに
上達し、ピアノは後に音楽という生涯欠かせない趣味を得るきっかけになりました。
100歳になった今も自由な気持ちで書を書きピアノを弾いて音楽会では指揮まで
楽しんでいます。あのまま毎日何もしない療養生活を送っていたら私には何も
残らなかったでしょう。時間を無駄にせず大切に使う事で私のいのちはイキイキと
息を吹き返したのです。いのちとは長さではなく質が問われるもの。
それを心に留めていれば、きっと素晴らしい一生を送る事ができるでしょう。

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私が子供の頃は身近な日常生活の中に死がありました。疫痢という命取りの
伝染病にかかった子供は入院しても多くが死に、小学校の夏休みが終わって
教室に帰ると数人の友達の姿が消えている事を淋しく思ったものです。
祖父や祖母、叔父や叔母、時には兄弟など、家族や近親者の死に対面する
事もしばしばありました。現代は医学が発達したため、また大家族で暮らす事も
減ったために子供たちが日常で死を体験する事は少なくなりました。
しかし本来死とは子供の時から自然と体験するべきもの。死を通して、いのちを
与えられている事の素晴らしさを知る事ができ、健やかな毎日に感謝する事も
できるからです。例えば知人や親戚の通夜や葬儀に子供を連れて行き、死の
場面を体験させる。あるいはペットを飼う事で人間と同じように命あるものが
生きる事にひたむきである事を学ばせる。子供たちがいのちと死を繋いで
考えられるような経験をもっと日常生活に取り入れたらどうでしょうか。
少年少女が殺人を犯すような、いのちが軽んじられている今こそ、大人たちは
もっと積極的に、いのちと死の教育に取り組んでほしいと思います。

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「学校は教えるところ、家庭は学ぶところ」慶應義塾の創設者であり偉大な
教育者の福澤諭吉も「福澤文集」の「教育の事」でそう言っています。
ですから私たち大人は子供からの良きモデルでなければなりません。
朝の挨拶から食事の仕方まですべてが良いお手本になるよう努めるべきです。
なぜならちょっとした習慣やマナーも学びとなって悪いものは悪いまま、
子供に吸収されてしまうからです。また子供が誤った行動をした時はただ怒る
のでは逆効果です。怒る大人の顔は憎しみの表情であふれているからです。
怒るのではなく叱る事。叱るというのは子供に事の筋を話して正しい行動を
するように導く愛の言葉です。そうした「学び」を学校まかせにしてはいけません。
家庭での小さな学びの積み重ねは子供たちの大切な糧となるのですから。

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いかがでしたか。
参考になる考え方はありましたか?
同じ人物内やジャンル内でも今後更新して
増やしていきますので、また見に来てくださいね♪
僕も毎日お寺で修行中ですよ。

 

 

 
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