志村けんさんの名言や考え方から生き方を学ぶ。

志村けん(タレント)の名言・格言【有名人から学ぶ生き方のヒント】

志村けん(タレント)の名言・格言【有名人から学ぶ生き方のヒント】

 

【人物紹介】
志村けん(1950年~)。
幼い頃、厳格な父親の支配する家庭はいつも重苦しい雰囲気に包まれて
いたが、当時、まだ珍しかったテレビのお笑い番組で、漫才や落語を観てい
た時だけは、嫌な日常を忘れることが出来た。その時だけは、厳格な父親も
笑いをこらえながらテレビを観ていた。そのような体験から、お笑い芸人の世界に
憧れを抱くようになり、中学生の頃から本格的にお笑いを仕事とすることを決心。
1968年2月、高校卒業間際にいかりや長介の家へ直接押しかけ、弟子入りを
志願する。由利徹やコント55号とザ・ドリフターズのいずれに弟子入りするか
迷ったが、音楽性の面からドリフを選んだ。雪の降る中、いかりやの帰宅を
12時間ほど待ち続けるも、門前払い同然の扱いで、容赦なく突き放されたが、
それでも食い下がったため根性を買われ、バンドボーイが辞めてメンバーに
欠員が出たらという条件で仮採用された。いかりやは後に「帰宅すると勝手に
居ただけで待っててくれと言った覚えはない」と語った。一週間後に呼び出された
後楽園ホールで、いかりやから正式に採用を告げられた志村が、「じゃあ(高校)
卒業したら来ます!」と答えると、「バーカ、明日から行くんだよ、青森に!」
と言われ、翌日から青森巡業などへ同行させられるなど、すぐに多忙となり、
高校卒業式は当日の午前中だけ時間を貰い慌ただしく式に出席し、
仕事に戻ったという。しばらく加藤茶の付き人兼加藤家居候となる。
1974年3月31日をもって荒井注が脱退し、4月1日に正式にドリフのメンバーとなる。
当時、志村は24歳。ドリフメンバーとなり、楽器はギターを担当するようになった。
ドリフの正メンバーになって2年間ほどは、ギャグがあまりウケず、志村にとって
スランプの時代であった。 転機となったのは、『8時だョ!全員集合』の「少年少女
合唱隊」のコーナーで「東村山音頭」を歌ったことで、これにより一躍人気者となる。
1979年には加藤茶との「ヒゲダンス」、1980年には「♪カラスの勝手でしょ〜
(童謡『七つの子』の替え唄)」が人気を博した。1985年に『全員集合』が終了。
1986年に『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』がスタート。加藤がボケで、
志村がツッコミを担当する。その後、『志村けんのだいじょうぶだぁ』、現在も続く
『志村けんのバカ殿様』(フジテレビ)などで、ドリフメンバー以外(田代まさし・
松本典子・桑野信義・石野陽子・ダチョウ倶楽部)との活動が多くなる。
この頃から「変なおじさん」に代表される、ドリフとは一線を画した独自のコント
スタイルを確立し、第2の人気ピークとなる。一貫してコントやバラエティ以外の
テレビ番組や映画で俳優として出演しないことを信条としていた志村だったが、
1999年には映画『鉄道員(ぽっぽや)』に俳優として出演した。自宅の留守番
電話に主演の高倉健直々の出演依頼のメッセージが残されていたため、
「健さんの申し出があったのに出演しないとは言えなかった」と出演の理由を
明かしている。この時の録音テープは、家宝としてその後も大切に保存して
いるという。なお、その映画で担当した役は原作にはないシーンで原作に
登場しない人物である。

プライベートに関して言えば俺は本当にこだわらない。
着る物だって「志村さん、これいいですよ」って言われれば
「ああ、そう」って素直に聞いてしまうし、移動の時にベンツの
ワゴンに乗っているけど車内での仕事の打ち合わせや資料の
整理に都合がいいという事だけで本当はどんな車だって一向に構わない。
物欲とか物に対する執着心なんてものもないから贅沢品と言われるような
ものにお金を注ぎ込む事はほとんどない。ところが、こと仕事に関するものと
なると話は別だ。自分が「これは絶対に必要だ」と思ったものは、いくらお金を
かけても惜しくない。だからビデオやDVDでも仕事のネタになるかもしれない
と思ったら、どんなに大量にお金がかかっても、すべて買ってしまう。
俺自身が面倒くさがり屋で、レンタルビデオで借りたら返さなくちゃいけないから、
ついつい買ってしまうという安易な理由もなくはないけれど・・。
「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」と「志村けんのだいじょうぶだぁ」の
ゴールデン番組を2本やっていた頃は特に買い込んだ量が凄かった。
いいシーンでストップして研究につぐ研究。一晩中どうやってネタにするか、
よく考え込んだものだ。そんなだからビデオも溜まりに貯まって3000本とか。
収納に困るほどになってしまっている。普段何気なく聴いている音楽だって
番組を構成する時に「ここで、あの曲入れてみよう」なんて仕事で使える事が
たくさんある。だからCDもジャンルや好き嫌いにこだわらず購入し家でも車の
中でも時間があればできるだけ何でも聴くようにしている。
こうなると、もはやプライベートと仕事の区別がつかなくなる。

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仕事で「これは絶対に必要だ」というもの、その中でも自分にとって
最も大切なものだと自覚して、お金を遣っている事がある。
それはお笑いの種の部分で肝となるネタ作りと構成だ。
これを作り出すにあたっては、放送作家の朝長に俺のポケットマネーを
使って個人的に仕事を依頼している。お金を遣っていると言ったら彼に
失礼かもしれない。でも俺は仕事に関して「お金は得るだけのもの
ではなく、利を得るために使うもの」という気持ちをいつも持っているからだ。
彼と仕事をするようになって十数年経つ。野球でいえばキャッチャー
いわゆる女房役ってところで、こうやったらどうか」っていうアイデアを
先回りして教えてくれる。肌感覚の「流れ」に一緒に乗ってくれる。
おそらく俺がこの仕事を辞めるまで付き合いが続くと思う。
そんな彼がある時、車を運転中、急に気持ちが悪くなり、そのまま
病院に駆け込んだ。クモ膜下出血という事ですぐさま入院となったが
不幸中の幸いというか早めに病院にスベリ込んだのがラッキーだった。
結局リハビリして復帰するまでに半年ほどかかったが、その時は本当に困った。
復帰するまでの間、別の作家が書いてくれていたわけだけど肝心の
ところがつかめず、まったく噛み合わない。朝長とは病気になる前から
「金の面倒はすべてみる。だから俺の仕事だけをやってくれ」とお願い
していたくらい超密接な志村けん御用達的な仕事関係だったから
突然の一時リタイヤはかなり仕事に響いたし事実俺の芸の将来性にも
大きな影響を及ぼしかねない状況だった。
放送作家というのはいろんな局の番組の台本を書いて生活している。
もちろん、お金も放送局から支払われる。そこがこの業界の常識だ。
1人の芸人が1人の作家を独占するなんていう関係は仕事の面でも
業界唯一といっていいんじゃないか。じゃあ、どうしてそこまでやるかと
いえば俺の場合、より深いコントのアイデアが欲しいからだ。
実際コントのアイデアなんて富士のわき水みたいに何十年もこんこんと
湧き出てこない。だから彼の才能を必要としているわけだ。
もし「自分のために何にお金を使いましたか?」って聞かれたら言い方は
悪いけど「仕事の質を向上させるために放送作家を一人囲いました」
って答えるね。俺にとってみれば、それくらい意味のある有意義な金の使い方なんだよ。

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人間だれしも得意、不得意があるのは当たり前だ。
冷静な目で自分を見つめてみて自分の能力や価値を知った上で
足りない所や不得意なところは他の人に協力してもらうなりお金を
払ってでも補ってプラスにしていくのは大事な事なんだよ。
俺の場合は自分の得意分野ではあるけど、より質の高いレベルの
仕事を求めるがゆえにお金を払って協力してもらっている。
それが気心の知れた朝長ということになる。俺たちの仕事はモノとして
形のあるものじゃない。まあ、ビデオっていう形に残る事はあるけど、
その中で展開される一瞬の笑い、それを作るためのアイデアは
コンピューターの中に組み込まれている半導体ぐらい重要なパーツなんだ。
だから肝心かなめの部分、そこには金を惜しまない。
お金の使い方はもちろん人それぞれだ。でもここ一番という大切な時、
大事なポイントでは絶対に出し惜しみせずに使うべきなんだよ。
ギャンブルだって勝負に出てお金を注ぎ込まないかぎり勝つ事なんて
出来ないよね。株だってそうだ。何かに投資する事ではじめて利益が
生まれるわけだ。自分が一番大事にしていること、それは人間関係
だったり情報だったり学問だったりするだろう。その自分にとって絶対に
必要なんだっていうものに、ためらう事なく大切なお金を使って欲しいんだ。
そして車だのバッグだのといった、いわゆるモノじゃない所にお金を使った時、
本物の精神的満足が得られるんじゃないのかな。
昔から粋な人ってそんな無形の部分にたくさんのお金を使った気がするんだよね。
無形なものの代表といえば人間関係。俺も人間関係まーるくいきたいから、
夜の外交にも散々お金を注ぎ込んで、それなりに得たものはあったけど、
ほとんどオシッコになって流れちゃった気がする。

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昔、そう、小学校から付き人時代までいつも貧乏だった。
だから当然お金は欲しかった。でも中学から高校にかけて自分の小遣いは
バイトで稼いでいたけどお金そのものに対して強烈な執着心はなかった。
今でもそうだけどお金がいっぱい欲しいという欲求は自分自身の中からは
湧いてこない。「金は後からついて来る」という気持ちは子供の時からずっと
同じでやるべき仕事をコツコツ積み重ねてゆく事が自ずといい結果(お金)を
生むという考え方だ。だから自分で言うのもなんだけど金払いは相当いい方だと思う。
お金で借りを作るのも嫌だし、ましてや面倒くさい揉め事は精神的に嫌だから
「金で解決できる事ならば・・・」という性格。金について争うなんていうのは
一番嫌いだね。付き合っていた彼女との別れ話の時にもお金に関してしつこく
グズグズ言われたりすると「あーわかった、わかった」という事になって、ついつい払っちゃう。
でも「お前って結局そういう奴だったのか」ってスーっと血が引くように冷静な気分に
なるから逆に後を引かない。子供の頃、俺の住んでいた東村山のまわりはみんな
貧乏だった。穴の開いた靴下はいていたりズボンにつぎあてしていたり。俺なんて
親父のズボンを切ってはいたりしていた。今じゃつぎあて自体知らない人が多い。
「何それ」って言われるのがオチだ。でも、だからって悲壮感漂う感じではなかった。
よくあるじゃない、子供時代の食うや食わずの生活がトラウマとなってお金をけが
らわしいものと必要以上にさげすんだり、逆に金の亡者になったりする話。
そんな人って不幸だよな。

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お金関係では付き人の頃が一番惨めだった。家にも金の無心はそうそう
出来ないから高校の時から付き合っていた彼女に何度かお金を借りた事がある。
当時彼女は某有名デパートの和服売り場に勤めていた。和服売り場の静まり
返った雰囲気の中でお金を借りるために呼び出すのはカッコイイものじゃ全然
ないんだよね。それに俺自身が呆れるような物凄く汚い恰好をしていたから、
おそらく彼女は相当恥ずかしい思いをしたに違いない。彼女から借金したのは
たぶん4~5回ぐらいだったと思う。1回に借りた額は1000円か2000円。
「お願いだから仕事場に来るのはやめて」と言われ、その時ほど「人から
金貰わなきゃモノが食えない」って本当に辛い事だなと思った事はない。
当然、靴も買えないから小道具さんからもらったワラジを履いていた。
たぶん2、3か月くらいだったと思うけど。都会でのワラジの耐久期間は
2、3日しかない。なんせ地面がコンクリートだからすぐボロボロになってしまう。
今時ワラジなんて店にも売ってないから全部特注で値段は1足3000円ぐらい
という話だった。小道具さんから「ワラジ、ワラジって馬鹿にするけど、結構
高級品だよ、これ」って言われたな。確かに3日もったとして1か月で9万円を
履きつぶした計算になるから、かなりの高級な生活をしていたと言えなくもない。
食事に行ってメニューを見ても金額のゼロが1個多いのは絶対に視野の中に
入れなかった。すっ飛ばして見る癖がついちゃっていたね。
ドリフに入って最初の給料は50万円だった。これは嬉しかった。
けど家賃や色んなものに払ったらほとんど残らなかった。レストランでようやく
値段を気にせず注文できるようになったのは30歳を超えてからだ。
何が一番嬉しかったかというと鮨屋や天ぷら屋さんのカウンターに座って
頼めるようになったこと。この時の喜びは今でも忘れない。

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仕事のネタに関しては肝心かなめの所なのでかなり細かい所まで
アイデアを考える。あれはドリフターズとは別に加藤さんと二人でやって
いた「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」の企画打ち合わせでスタッフ
全員で話し合っていた時の事。俺が「素人の撮ったビデオを募集して、
それを紹介しながらコメントするっていうのはどう?」と提案した。
すると「ビデオなんてまだ持っていないんじゃないの」と全員否定的で、
いとも簡単に却下されてしまいそうになった。確かに当時は家庭用
ビデオが出始めの頃で普及率もイマイチという事もあったし、ましてや
素人モノなんてレベルが低いという考えが根底にあった。でも俺は
「絶対に受けるからやろうよ」と言い張って強引にそのコーナーを
作ってしまった。そしたら何とその「投稿ビデオコーナー」は本当に人気が
出てしまって「加トケン」の目玉コーナーになってしまった。もちろん番組の
評判も上々で視聴率もアップした。でもこれはそれだけにとどまらなかった。
その後、そのコーナーのアイデアをTBSがアメリカのテレビ局に売った。
しばらくしてアメリカ版の「投稿ビデオコーナー」が出来て全米でかなりの
反響を呼んだらしい。するとこれがまた日本に逆輸入されて「アメリカ版
おもしろビデオ」という形で日本でも放送されるようになった。しかしもとは
と言えば全て俺のアイデアだったわけだ。詳しくは知らないけど知的所有権
によるアイデア料がかなりの額アメリカのテレビ局からTBSの米国支局に
支払われているらしい。まわりから「あの時ちゃんと契約のサインを交わして
いれば、今頃志村さん働かなくてもよかったのに」なんてよく言われるけど
ネタとして考えたアイデアを個人の知的所有権という形で契約するなんて
当時には思いつきもしなかった。知的所有権がちゃんとした財産なんて
考え方が広く一般に認知され出したのは最近の事じゃないのかな。
昔はアイデアに対してお金を支払うという発想自体が希薄だった。
すぐにお互いにパクっちゃうんだから、でもテレビ局同士の間では随分
昔からアイデアの部分まで知的所有権として明確に認められるように
なったのはほんとにここ最近のことだ。

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ビジネスマンだって会社帰りの飲み屋で友達に気楽に話したことが
知らないうちに大金に大化けしている可能性だってない訳じゃない。
今じゃインターネットでもビジネスアイデアの売買が行われている。
アイデアが売れる時代なんだ。ビジネス特許が取れるような独創的で
画期的なアイデアとまではいかなくても、ちょっとした閃きがお金を
生むかもしれない。企業内起業家とかいってアイデア発掘に躍起に
なり出したビジネスマンたちもいるようだ。でもだからってあまり難しく
考える事ないんじゃないの。お金になるアイデアというのは実は俺の
「投稿ビデオコーナー」と同じで誰もが思いつきそうな事を人より鼻の差
ぐらい先を見越して現実化すればいいんだ
「鼻の差ぐらい」がポイント。それ以上先でもそれ以下でもダメ。
「あいつ発想はいいんだけどなぁ」って言われている人は案外多いけれど
自分の発想をいかに現実的な方法に落とし込めるかも大切だ。
それにあの時ビデオがまだ一般に普及していないとまわりが言った事に
俺が「確かにそうだよなー」って同調していたら実現していなかった。
何でもかんでもすぐ否定しないでまずトライしてみる事がアイデアを
実現するためにはやっぱり大事なんだよな。

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どこの誰だか知らないけど「金は天下の回りもの」とはよく言ったものだ。
お金は使わないと入ってこないというけど本当だと思う。使った以上に
稼ぐというのが俺の考え方だから毎日頑張って稼がなければいけない。
以前アメリカの有名な超能力者エドガー・ケーシーという人が
「人の健康で最も大切な事は排泄行為である。排泄行為が円滑に
行われていれば健康を維持できる」と言っていたのを読んだ事がある。
口から食べたり飲んだりしたものが汗やオシッコ、ウンコとなって体の外に
出るわけだけど、これが詰まったりすると体の具合が悪くなるわけだ。
食事として摂った物を体が吸収し不要なものは外に出す。
この瞬間サイクルがうまく機能していれば人間、いつも健康らしい。
この考え方はお金にも当てはまる気がする。お金を稼いでお腹いっぱいに
なるまで溜め込み続けそれでも出さないで溜め込んでいくと色々な
トラブルが生じてしまう。体に取り込める量は限られているからそれ以上
無理して取り過ぎると糖尿病やガンなどの病に冒されるのと同じでお金の
健康も維持できなくなるという事だ。これは儲けた分は適切に配分しないと
妬みや恨みを買ってしまうという事だろうか。麻雀だって独り勝ちの逃げ切り
じゃ「仕方ないじゃん」と言ったって後味悪いよね。麻雀代はもちろんちょっと
食事くらい奢れば「今日はやられたなぁ。またやろうか」という所に落ち着く。
勝負に問題がないとわかっていても、そこには割り切れない人間の感情が
渦巻いていて、そのわだかまりの部分が利益の一部を還元する事で
解消されて世の中ってうまくいくんじゃないの。

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食べたら出す。これが自然の摂理。だから大きな財をなした人は
その摂理に従ってお金の排泄行為をする。それが世にいう慈善や
寄付にあたるんじゃないのかな。海の向こう特に欧米では自らの富を
分け与えるのは崇高な行為だと解釈されている。稼いだらその一部を
社会に還元する。欧米では大企業や有名人は必ずこういった
社会貢献をしているよな。下世話なたとえで言えば俺の小さい頃は
東村山の畑の肥料は人糞のところが多かった。田んぼや畑で採れた
米や野菜を食べてそれを排泄する。それがまた田んぼや畑に肥料として戻る。
これと同じでお金が社会という採れたもとの田んぼや畑に戻る事が経済
社会の自然の摂理と言える。まさに「金は天下の回りもの」の言葉を
裏付けているよな。ほんと昔の人の言葉には真理をうまくとらえたものが
本当に多いと感心してしまう。お金が欲しいなら、ある程度使わなきゃ
入ってこないし、ただ溜め込むのは健康なお金じゃない。
欲のかき過ぎは禁物だ。俺も体にいいお金を持ちたいと思う。

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自分が持っている価値観や常識がまだ使えるものか、このご時世誰も
教えてくれない。だからちょっと遠めに自分を置いてみるといいと思う。
そしてもっともっと離れて自分を見てみると最終の目的地や方向は
これでいいのかなという疑問が湧いて来る。ひょっとすると走っている間に
仕事観も人生観も変わっていたかもしれないし・・・。だけど考え方が
変わっていたにもかかわらず真面目な人は「最初に決めた事だから」と
無理やり自分を納得させてたりする。子供の頃厳しくしつけられた人なんか、
途中で軌道修正する事や変わる事に妙な罪悪感があったりするからなぁ。

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物事にはすべて裏と表がある。昼と夜、黒と白、金持ちと貧乏、ブスと
美人など必ず対極に位置するものが存在する。人間もそうだ。
雇われる人と使う人、テレビ局側と視聴者などなど、枚挙にいとまが
ないほど例はあるけど大雑把に分けて「受け手」と「出し手」に分けるなら
「出し手」の方が圧倒的に個性的だ。本屋さんで陳列されている本や
雑誌を買う人とそれを作る人いわば本棚に並べる側の仕事をする
人とは明らかに違う。テレビの場合もそうだし映画だってそうだ。
料理店だって同じ。「受け手」の人は自分と同じレベルや自分でできる
ものにあえてお金を出したりはしないものだ。以前、藤山直美さんに
「俺って少し変わっているんですよね」って言ったら「テレビに出てはる
人は少々変なぐらいが、ええん、ちゃいますかぁ。普通の人が普通の
人を見とうないでしょ」と言っていた。芸能人やミュージシャン、芸術家や
料理人をはじめ、いわゆるモノを作る側の人たちは普通とは違う
自分たちの毒や狂気、センスの部分をウリにしているわけだ。
だから普通の何の変哲もない人間を商品として簡単に表舞台に
出してはいけないと思う。最近は芸能人があまりに普通で軽くなり
過ぎて俺から見れば「お前ら芸人じゃねえよ」と言いたくなる。

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近頃の若いOLたちがよく口にする言葉。「これ食べやすい、飲みやすい、
聴きやすい」という風に何でもかんでも軽くて薄っぺらな表現にしてしまう
言い方。本当の意味を具体的に説明できないからただ「~やすい」
という言葉で誤魔化しているだけだ。普通の芸能人たちと通じるものがある。
俺の笑いを見て「見やすいコントですね」なんてコメントしたらハッキリ言ってキレる。
じゃあ「やりやすい女ですね」というのがあるのかよ、答えてみろってね。
クセもなく当たりさわりがないって事は、それだけ個性に欠けるしある意味
価値が低いということだ。ロサンゼルスの脚本家がおもしろい事を言っていた。
「このロスの街には大勢の世界的なロックミュージシャンや映画俳優、
監督、作曲家、作詞家、脚本家が住んでいて、この街の8割以上が
彼らのようなイカれた」職業の連中だ。だからこの街で認められるには
ヤツら以上にイカれていなくちゃだめなんだ。レストランのウエイターだって
ただサービスをしてるだけじゃ務まらない。他と違う何かがなくっちゃね。
人から認められるには相手以上のインパクトが必要だし、ましてやお金を
いただくためには普通である事は何の役にも立たない。
だけど普通じゃだめというのは常識外れになれって事じゃない。
逆説的なようだけど社会人としての常識は絶対に欠かせない。
モノ作りの個性はトンガっているけど日常生活では常識人でいたい。
逆に個性は凡人並みで常識の方はイっちゃってる変人じゃ救いようがない。
俺はいつでも「個性は変人、常識は凡人」でいたいと思っている。

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仕事をしていく上で必ず守っている事が一つある。
それはどんな時でも約束の時間前に現場に入るという事だ。
当たり前といえば当たり前の話だが昔から最低でも10分前には
約束の場所に到着するようにしている。キャリアを積み現場での
立場が変わった今もそのスタンスに変わりはない。『バカ殿様』の
収録の時など俺本人が遅れたり時間にだらしない事をしたら、
今でも引け目を感じてしまう。だから余計早くスタジオ入りする。
それより何より一番頭の俺が当たり前の事をキチンとやる事で
現場にいい意味での緊張感が生まれてくる。芸能界って昔から
現場に遅く来た方が偉いっていう暗黙の了解のような雰囲気が
あって大物は遅く来るのが当たり前みたいなところがあるでもそれって
かなり常識とズレていると思うよ。一流企業になればなるほど
会社のトップって社員の誰よりも早く出社するって聞くけどなぁ。

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俺は昔からそうだけどコントを作る場合、かなりの下準備をするし、
出来上がった後でも念入りに何度もチェックする。テレビを見ている
人たちは俺たちが一瞬の笑いをとるためにまさかこんなに時間を
かけて綿密に作っているなんて想像もしていないだろう。
たった「アハハハ」のために、だいの大人が寝ないで考えているんだから。
制作予算の割り振り(セット、出演者のキャスティング・・)に始まり
ネタのすり合わせまで、すべてがピタっとジグソーパズルのように
適材適所にはまってこそ輝く笑いがつくれるというもの。
それもこれもすべては完璧な下ごしらえがあってこそだ。
でも、その下ごしらえが相手に見透かされるようじゃ、全然いけない。
苦労した跡がバレるようじゃダメ。あくまでもサラっと自然にが基本だね。
何を言いたいのかというと仕事に限らず何でもそうだけど
「俺頑張りました」ってところが見えてしまうようではまずい。
頑張ったとか努力したという事をことさら強調する奴がいるけど、
それって手品ですぐさまタネあかしをしてしまうのと同じじゃないのか。
いとも簡単にやっているようで実はその裏で血のにじむような努力と
完璧な準備があるからこそ金を取れるモノになるわけなんだから。
江戸前の鮨屋だって。こはだやアナゴなんかはメチャクチャ手間の
かかった下ごしらえが必要だ。でも、いちいち「お客さん、これ
仕込むのに何時間かかってると思います?準備の手順は・・・」
なんてことをくどくどとカウンター越しに話し掛けたりはしないよな。
そんな事をしたら粋じゃないし江戸前じゃない。涼しい顔して
「なんてこたぁねーですよ」の素振りで握っているからいいんでね。

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骨董品がそうだけど割れた壺や破れた屏風なんかを素人判断で
直してしまった場合、そのままの状態の時よりも値段はグーンと下がって
しまうらしい。いくら壊れていないように繕っても所詮は素人、プロが見れば
バレバレなんだよな。だから変にいじくったりしないで、そのまま「これ壊れて
いるけど、この状態でいくらですか?」と最初から正直に言えばいいんだよ。
正直者は救われる。俺の芸だって酔っ払いを演じるのでも自然に見える
ようにするのが一番難しい。自然に見えるって事はそれが一番リアルな状態なのよ。
俺はそこに目を付けた。「自然にね」という簡単な姿が意外と難しい。
人間いついかなる時も自然な振る舞いが出来ればOKじゃないのかな。
妙な飾りや洒落た小細工はかえって逆効果という場合が人生には多い。
料理だって焼き魚を注文したなら分不相応な飾りや付け合わせはいら
ないし新鮮でおいしい素材だけでも十分。それをゴテゴテといろいろ飾っちゃう
というのは客から見れば何がメインかわからなくなるし、それ以上に魚に自信が
ないんじゃないのと疑っちゃうんだよな。だから素のままの自然体、下手な策なら
策がないのが最善の策だと思うよ。普段から自然体で生きてる人間ってだいたい
カリカリしていない。逆に無理してる奴は文句ばかり言ってる。
「死ぬ時も文句言いながら死ぬのかよ」って思う。せめて死ぬ時ぐらいは
感謝して死にたいね。でもダメな奴って口ごたえばっかり言ってまわりの
せいにする奴が多いんだよね。仕事のできる人たちというのは
「下手な策は数打っても当たらない」という事がよくわかっている。

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頭で考えずに行動第一が身についたら今度はマネるという行動に出てみる。
身近で言えば職場の中にデキる同僚や上司が必ずいるよね。そのデキる
人たちの行動パターンをとりあえずマネしてみる。職場以外でも成功している
友人のやっている事をそのままマネしてみる。アマチュアバンドだって最初は
自分たちの好きな歌手やグループの曲のコピーから始めるわけで端っから
オリジナルを作って勝負している奴なんていないんだよ。マネが基本。
マネを上手にできない人がそれを超えた独自のテイストを作り上げるなんて、
かなり不可能に近い。俺だって中学時代にビートルズのファンになってマネ
しようと一生懸命ギターの練習をやったけど結局あんまりうまく弾けなかった。
だからミュージシャンはやってない。そういう事なんだよ。マネして出来なきゃ、
それは才能がない証拠。悲しいけど自分自身にケジメをつける事も大切だ。
才能がない事はお金に結びつかないから早いとこその道は諦める。
これが正解。
マネの効用の第一は自分の適性をふるいにかける事ができるという事だ。
お笑いに関して言えば高校一年生の時、初めて見た米国の大物喜劇
俳優ジェリー・ルイスの映画にすごく影響を受けた。彼の表情や細かい動きを
マネして自分がどれだけうまくやれるか、随分と研究したな。
結構うまくマネ出来たものだから自信を持っちゃって結局その方面の世界に
足を踏み入れる事になった。上手にマネが出来るという事は自信に繋がる
んだよね。自信は強い意思を生み、強い意思に支えられていい仕事ができる。
単純なモノマネだけでも仕事にはなるけど、それ以上のレベルには達しない。
すごく似ている事は似ているけど、ただそれだけの事。コロッケが凄いのは
モノマネにモノマネ以上のクオリティを加える事によって彼独自の世界を作って
いるところなんだ。どこにもない独自性の高い自分の世界ってものが出来上が
れば道は自ずと開ける。俺はそう信じている。

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「奢る奢られる」というお金の使い方はまさにその人そのものだと思う。
一般的には誘った方が払うというのが常識だ。「志村さん、美味い店がある
から今度行きますか?」と誘われ、いざ払う段にったらトボケている奴もいる。
でも「誘ったくせに何で払わないの?」と俺は言わないし、思わない。
「お前って、そういう奴か」と思うだけで腹も立たない。
ゴルフは食事より金額が張るけど、もし俺が誘ったなら、全て払う事にしている。
それは「誘う事=相手の時間を拘束している事」だからだ。
誘っていなければ相手は他の仕事が出来たかもしれないし好きな事が
やれたかもしれない。それを自分の都合で付き合わせるという事を考えると
最低限のルールじゃないのかな。

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ある日、こんな事があった。収録後の反省会を兼ねた「どうもお疲れさん」の
飲み会で「今日のあのコント、ほんと大笑いしたな」って誰も俺に言ってくれない。
しょうがないから、どうして何も言ってくれないんだと聞くと「だって志村さんなら、
そのくらい当たり前だから」って答えが返ってきた。正直言って「いくら俺だって、
いつもいつも、あのレベルのコント要求されたらつらいぜ」ってカチンときた。
だからディレクターに「もっと俺を褒めろ」って言ったんだ。
偉そうなつもりでじゃないよ、これは。人間っていくつになっても、いつも
褒められていないとダメな生き物だとマジで思う。褒められていると自信がつく。
それで「次はこうやって、もっと笑いをとろう」ってレベルアップを考えるものなんだ。
日常のほんの些細な事でもいいから「俺はお前の事認めているんだよ」って
言当ての良かった所を褒めてあげる事がとっても大切なんだと思う。
例えはきついけど、リストラされて失業した父親が娘さんから「お父さんは
これまで随分頑張ってきたじゃない。だから気長に次の事を考えれば
いいんじゃない」なんて声を掛けられたら涙モノだもんね。その一言で
救われるんじゃない。明日への活力だって生まれてくる。しかし中にはちょっと
褒めると勘違いして妙な自信を持ったり天狗になったり威張り出す奴もいる。
そんな奴は最終的に誰からも認めてもらえないゴーマンな人間だろうから
放っておけばいい。それとなぜか人の事を絶対に褒めない奴っていうのもいるよね。
これって中途半端なレベルの連中に多い。変な自信やプライドが邪魔して
歪んだ対抗意識を持っているからだろう。人を褒める事ができるのは自分自身に
ゆとりがある証拠だと思うよ。逆に人を褒める事で素直な気持ちになれたりする。

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いかがでしたか。
参考になる考え方はありましたか?
同じ人物内やジャンル内でも今後更新して
増やしていきますので、また見に来てくださいね♪
僕も毎日お寺で修行中ですよ。

 

 

 
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