哲学者のニーチェの名言や考え方から生き方を学ぶ。

フリードリヒ・ニーチェ(哲学者)の名言・格言

フリードリヒ・ニーチェ(哲学者)の名言・格言

 

【人物紹介】
24歳でスイスのバーゼル大学教授となりましたが、
教職の期間はわずか10年ほどで、その後は病気
療養のためにヨーロッパ各地を旅しながら独特の
著述と思索を続けました。ニーチェの著作の中で
最も広くタイトルが知られているのは「ツァラトゥストラ
はかく語りき」です。この書名を知らない人でも
リヒャルト・シュトラウスが作曲した「ツァラトゥストラは
かく語りき」の旋律は映画「2001年宇宙の旅」の
テーマソングにもなっているから聞いているかもしれません。

多くの友人を欲しがり、知り合っただけで友人と認め、いつも誰か仲間と一緒にいないと落ち着かないのは、自分が危険な状態になっているという証拠だ。

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『意味が見つからないから良き人生を送れないのではなく、良き人生を送れないからこそ意味にすがるのだ』(※人は自分の生きたいように生きるべき。意味などはその後から自然についてくるもの)

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『脱皮できない蛇は滅びる。意見を脱皮していく事を妨げられた精神も同じ事である。それは精神である事をやめる』(※いい大学やいい会社に行くだけが必ずしも人間の幸福ではありません。まして今はグローバル化やインターネットの進展で既存の価値観が大きく揺らいでいます。大切なのは自由を束縛する古い価値観から脱皮し続けていく事です)

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誰だって他人から自分がどう思われているか知りたいものだ。よく思われていたいし、少しは立派だと思われたいものだし、大切な人間の部類に入れて欲しいものだ。だからといって自分への評価を気にするばかりに、聞き耳を立てるのはよくない。なぜなら人間というのは間違った評価をされるのが普通の事だからだ。自分が思うように、自分が望むように評価してくれる事なんか殆どない。そういうのとは全然違う評価をされているのが全く普通だからだ。だから腹を立てないためには自分の評判や評価など気にしてはいけない。他人がどう思っているかなんて事に関心を向けては絶対にいけない。そうでないと本当は嫌われているのに、部長だの社長だの先生だのと呼ばれる事に一種の快感や安心を覚えるような人間になってしまう。

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自己嫌悪に陥った時、何もかも面倒で嫌になった時、何をしてもくたびれて仕方がない時、元気を取り戻す為には何をすべきだろう。ギャンブル?宗教?流行のリラックス療法?ビタミン剤?旅行?飲酒?そんな事よりも、食事をして休んでから、たっぷりと眠るのが一番だ。しかも、いつもよりずっと多くだ。目覚めた時、新しい力がみなぎる別の自分になっているだろう。

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どんな人にも一芸がある。その一芸は、その人だけのものだ。それを早くから知っていて、充分に生かして成功する人もいる。自分の一芸、自分の本領が何であるか、わからないままの人もいる。それを自分の力のみで見出す人もいる。世間の反応を見ながら、自分の本領が何だろうかと模索し続ける人もいる。いずれにしても、くじけず、たくましく、果敢に挑戦を続けていけば自分の一芸がわかってくるはずだ。

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今のこの人生を、もう一度そっくりそのまま、繰り返しても構わないという生き方をしてみよ。

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おおかたの人間は、自分に甘く、他人に厳しい。どうしてそうなるかというと、自分を見る時には、あまりに近くの距離から自分を見ているからだ。そして他人を見る時は、あまりにも遠くの距離から輪郭をぼんやりと見ているからなのだ。この距離の取り方を反対にして、じっくりと観察するようにすれば、他人はそれほど非難すべき存在ではないし、自分はそれほど甘く許容すべき存在ではないという事がわかってくるはずだ。

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自分がどういう者であるか理解したい人は、次のような問いを自分に向け、真摯に答えてみればいい。これまで自分が真実に愛したものは何であったか?自分の魂を高みに上げたものが何であったか?何が自分の心を満たし喜ばせたか?これまでにどういうものに自分は夢中になったか?これらの問いに答えた時、自分の本質が明らかになるだろう。それがあなた自身だ。

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不機嫌になる大きな理由の一つは、自分のなした事、自分の生んだ事が人の役に立っていないと感じる事だ。だから不機嫌な老人がいる。一方で輝く青春の真っ只中にいる若い人たちが不機嫌なのは、自分が社会かの中で生産的な存在になる事が、まだ中々難しいからでもある。従っていつも機嫌良く生きて行くコツは、人の助けになるか、誰かの役に立つ事だ。その事で自分という存在の意味が実感され、これが純粋な喜びになる。

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自分をカリスマ性を持った深みのある人間であるように見せたいなら、一種の暗さ、見えにくさを身につけるようにすればよい。自分を全てさらけ出さないように、底が見えないようにするのだ。多くの人は底が見えない事に一種の神秘性と深さを感じるからだ。自然にある池や沼にしても濁って底が見えないと人は深いと思って恐れてしまう。カリスマ的人物と呼ばれる人への恐れとは、その程度のものなのだ。

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確かに体験は重要だ。体験によって人は成長する事ができる。しかし様々な体験を多くしたからといって、他の人よりも優れていると、言う事はできない。体験しても後でよく考察しなかったら、何にもならないのだ。どんな体験をしても、深く考えてみる事がなければ、よく噛まずに食べて下痢を繰り返すような事になる。つまり体験から何も学べていないし、何も身につかないという事だ。

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食事をしないと体が弱り、やがて死ぬ。睡眠が足りないと四日程度で体が糖尿病と変わらない状態になる。全く眠らないでいると、三日目から幻覚を見るようになり、やがて死を迎える。知性は私たちが生きていくのを助けてくれるが、私たちは知性を悪用する事もできる。知性はその意味で便利な道具と同じだ。そして私たちは本能を動物的なもの、野蛮なものとみなしがちだが、本能は確実に私たちの生命を救う働きだけをする。本能は大いなる救済の知性であり、誰にでも備わっているものだ。だから本能こそ知性の頂点に立ち、最も知性的なものだといえるだろう。

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いい学校に行けば、いい教師がいて、いい教育をしてくれるという。それは本当だろうか。だいたいにして何を教えて欲しいと期待しているのだろうか。どういう風に教育してもらいたいというのだろうか。教師や学校によって教える事柄が変わるのだろうか。しかし真の教育者とは事柄とか実績によるものではなく、あなたの能力をフルに発揮させてくれる人ではないだろうか。つまり真の教育者とは、あなたの解放者であるはずだ。ならば、あなたがイキイキと自由に、活発に能力を存分に発揮できるようにさせてくれる人こそが、あなたの本当の教育者であり、そこがあなたの学校だという事だ。

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君の立っている場所を深く掘り下げてみよ。泉はその足元にある。ここではない何処か遠くの場所に、見知らぬ異国の土地に、自分の探しているもの、自分に最も合ったものを探そうとする若者のなんと多い事か。実は自分の視線が一度も向けられた事のない自分の足の下にこそ、汲めども尽きせぬ泉がある。求めるものが埋まっている。自分に与えられた多くの宝が眠っている。

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いかがでしたか。
参考になる考え方はありましたか?
今後も更新を続けますので、
また見に来てくださいね♪
僕も毎日お寺で修行中ですよ。

 

 

 
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