哲学者アランの名言や考え方から生き方を学ぶ。

アラン(フランスの哲学者)の名言・格言

アラン(フランスの哲学者)の名言・格言

 

【人物紹介】
アラン(ペンネーム)ことエミール=オーギュスト・シャル
ティエは数多くの著作を発表しましたが、中でも1928
年に出版した「幸福論」が代表作です。「幸福論」と
名の付く本は世の中に多く存在していますが、中でも
世界中で翻訳され古典として読み継がれているのが、
ヒルティ、ラッセル、そしてアランによるもので、これらは
よく世界の三大幸福論と言われています。とりわけ
アランによる「幸福論」は「哲学を文学に、文学を
哲学に」変えようとする独特の文体によって日本でも
昔からファンが多く、学生からビジネスマン、経営者まで
幅広く親しまれてきました。1951年(83歳)に死去。

どんな職業も自分が支配している限りは愉快であり、自分が服従しているかぎりは不愉快である。

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野心家の主たる幸福は、忙しいという事なのである。

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過去と未来が存在するのは、人がそれについて考える時だけ。つまり両方とも印象であり、実体がない。それなのに私たちは過去に対する後悔と未来に対する不安をわざわざ作り出しているのである。

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自分の仕事やキャリアのためなら、みんなそれぞれかなりの努力をする。それなのに大抵の人は、自分の幸せのためには家で何の努力もしないのだ。

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列車のスピードが遅いというだけでイライラする乗客がいる。しかし面白い事に、彼は自分が出発する前に(あるいは降りてからでも)、この新型列車は今までの列車よりも15分早く着くと、人に説明するのに15分もかける事はいとわないのである。誰だって1日に少なくとも15分くらい、これと似たような事を喋ったり、トランプをしたりボーっとしたりしている。そのくらいの時間を、どうして列車に乗って、ただやり過ごす事ができないのだろうか?

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『金儲けの上手い人は無一文になっても自分自身という財産を持っている』(※お金はきっかけ一つで自分のもとから消えてしまいますが、自分自身という財産は誰かに取られたり無くなる事はありません。そこに気付くかどうかが金儲けの上手い人になれるかどうかの分かれ道)

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役に立つ仕事は、それ自体が喜びであるようだ。その喜びは、その仕事から利益を得られるからではなく、その仕事そのものに起因しているのである。

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完全なもの同士が反発し合う事は有り得ない。衝突するのは不完全で不道徳なものだけ。不安がこの顕著な例である。だからこそ人を束縛する暴君や卑怯者のやり方は、とんでもなく馬鹿げた事、あらゆる愚行の根源であると、私はいつも思う。束縛をとこう。自由にさせよう。恐れるな。自由な身の人間に敵意はないのだから。

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果物1個であっても、美味しくなるように何か工夫できる。結婚生活やその他のあらゆる人間関係なら尚更である。人とのこうした関わりは味見をしたり、黙って甘受するだけのものではない。自らつくり出していかなくてはならないのだ。人の繋がりは、その時の天気や風向きによって快適だったり、そうではなかったりするような、ちょっと日陰の類とは違う。そうではなく、自らが魔術師となって雨を降らせたり、良い天気にしたりするような、いわば奇跡の場なのである。

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駆け足で物事を見ていたら、みんな同じように見えてしまう。どこへ行っても、滝は滝にしか見えない。だから全速力で旅行してまわる人は、旅が終わる頃になっても、旅を始めた頃と比べて思い出がたくさん増えているという事は滅多にないのである。

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不幸になる事は難しくない。難しいのは幸せになる事である。だからといって、それはあなたが努力しない理由にはならない。その逆である。ことわざにあるように、やりがいのある事は何でも難しいのだ。

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誰も同情などされたくない。だから心優しい人の気持ちを自分のせいで滅入らせていない事がわかれば、病人は勇気づけられて元気を回復する。自信は素晴らしい万能薬である。

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上機嫌には寛大な所がある。受け取るより、むしろ与えている。人の幸せを考えなければいけないというのは全くその通りである。しかし、あまり言われていない事だが、自分を愛してくれる人たちの為に出来る一番良い事は自分自身が幸せになる事なのである。

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「ああ、もっと勉強しておけばよかった」。これは怠け者の言い訳である。だったら勉強すればいいのだから。勉強した事があっても学ぶ事を止めてしまったら、それほど素晴らしい事ではない。過去をあてにするのは、過去に文句をつけるのと同じだ。馬鹿げている。既にしてしまった事は、ずっとその栄光にあぐらをかいていられるほど素晴らしいものでもなければ、挽回できないほど酷いものでもない。

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大人しく言いなりになるのではなく、自分で実行する事、そこに喜びの本質があるのだ。アメ玉は口の中で溶けるに任せているだけで、ちょっとした美味しさが味わえるものだから、幸せも同じように味わいたいと考える人が多いが、それは間違っている。音楽の楽しみも、一度も自分で歌った事がなくてただ聞くだけならば大したことはない。それで物わかりの良い人は、自分は音楽を耳ではなく、喉で楽しむと言っているのである。素晴らしい絵画を楽しむにしても、収集してみたり、時には自分でキャンバスに塗ってみたりしないうちは、あくまで受け身の中途半端な楽しみでしかない。重要なのはただ評価するだけではなく、自ら求めていき、自分のものにしてしまう事なのである。

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いかがでしたか。
参考になる考え方はありましたか?
今後も更新を続けますので、
また見に来てくださいね♪
僕も毎日お寺で修行中ですよ。

 

 

 
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